国家に対するストッパー

忘れがちなんだけど、刑法は、国家が市民を罰する限界を定めているという側面はかなり大きいと思う。これがあるから権力者が好きにできない。都合のいいように市民に刑罰を与えられない。
それだけに刑法は市民にとってわかりやすいものであるべきで、この面での努力は、少しはされてきている。やっと1995年の刑法改正で、刑法の条文は現代語、口語になった。読めますよ、普通に。

法は不完全だと思う。おそらく100年たっても1000年たっても不完全であり続けることだろう。けどなぁ、それに代わるモノがあるか?
俺は不完全であっても法治国家であることをヨシとしたい。個々の事例ではいろいろ不備や矛盾があっても・・。だ。
人の心が変わっていくことが一番大事で根本のことではあるんだろう。対処療法としての刑法ではなくて、原因である人間の心を変えていくことが。・・・といっても一朝一夕でいく話じゃない。
代わるものがない以上、補い、育てていく努力をしていくしかないんだろうな。
それこそ古代シュメールのウルナンム法典、ハンムラビ法典の時からずっとされてきたことじゃないのかな。

裁判員制度の実施は、俺はよかったんじゃないかと思う。義務教育で誰もが学ぶ機会はあったはずなんだけど、大事なことであるはずなのに、毎日を支えている法について真面目に考えるなんてことは、なかなかできるもんじゃないからな。

判決を出すまで、それぞれの人は、きっといろんなことを考えたんじゃないかと思う。けっこう真剣に考えたと思う。そして判断した後でも、時に「あの時の判断は正しかったんだろうか」と振り返る人も何人かはいるだろう。

俺のところには、まだ裁判員の依頼はない。でも届いて、実際にやることになったら、きっと死ぬまで負い続けるんじゃないかと思うのだ。

そんな重い荷物を一般市民に負わせるべきか?
俺の答えはハッキリしている。
負うべきだと思う。
法治国家であることの恩恵は、一部の犯罪者を除いて、大半の人が享受している。そしてその不完全で欠陥だらけの法律の運用が、できるだけ妥当に、できるだけ正しく行われ、成熟していくためには、市民の関心が不可欠だと思うからだ。
何よりも、受けている恩恵は、皆が負うべきものじゃないだろうか。


知らないとねぇ


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